こんにちは、おっちーです^^
今回も必ずやせて-10歳の健康美を手に入れるための「ダイエットの基礎知識」を学んでいきます。
前回は「肥満の歴史」というテーマで、なぜ人は太りやすくなったのか?について学びました。
こんにちは、おっちーです^^今回も必ずやせて-10歳の健康美を手に入れるための「ダイエットの基礎知識」を学んでいきます。 前回は「理想体重とは?」というテーマで、-10歳の健康美の適正体重について学びました[…]
太りやすくなった理由、病が増えた理由として、
”人が作り出した現代の環境が自然から離れすぎてしまったことにより、自然の創作物である人体とミスマッチを起こしてしまっている”
と述べさせていただきました。
今回は「飽食の時代」というテーマで、日本食から欧米食に変化したことにより、わたしたち日本人にどのような問題が起きたのか?
今後どうすればよいのかについて学んでいきたいと思います。
飽食の時代について理解することで、わたしたち日本人が抱える問題の流れがわかるようになり、何を大切にしていく必要があるか理解できるようになると思います。
では、結論です。
飽食の時代の何が問題なのか?
”カロリーの質の低下により、肥満・糖尿病などの生活習慣病が蔓延し体調不良者が続出した。”
です。
それでは、詳しく見ていきましょう。
食の変化・日本食から欧米食
日本では第二次世界大戦以降、豊かさとともに伝統的な日本食から欧米型の高脂肪、高カロリーの食生活が定着しました。
米の消費量は低下し、パンやベーコン、ウインナーなどの肉食加工品、牛乳、チーズなどの乳製品の消費量が増えています。
下記は、日本における食品の輸入届出件数と重量の推移をあらわしたグラフです。
このグラフから、年々食品の輸入が増加していることがわかります。
輸入の増加に伴い、食文化も日本食から欧米食へ変化しました。
今や、農産食品や畜産食品はほとんど輸入に頼っており、輸入食品無くして日本の食生活は成り立ちません。
これにより、日本人の栄養バンランスも変化しています。
下記は、昭和40年(1965年)〜平成17年(2005年)までの栄養バランスを表した図です。
※令和元年(2019年)は、「平成17年(2005年)」とほぼ同じ栄誉バランスとなっています。
このデータは「食糧需給表」を元にしています。
食糧需給表とは?
農林水産省が食糧の供給状況をまとめたもので毎年集計される。
各食糧の類別・品目別に国民1人1年あたりの供給量、カロリー、炭水化物量、たんぱく質量、脂質量などがまとめられ、これにより食糧需給の全般的な動向や、栄養量の水準とその構成、食糧消費構造の変化などを把握することができるようになる。
・令和元年度食糧需給表(農林水産省)「国民1人・1日当たり供給熱量及びPFC熱量比率の推移」(※)
・食料需給表のデータ一覧(※)
上記の図からわかるとおり、昭和40年(1965年)はカロリーのほとんどを炭水化物が占めていることがわかります。
一番バランスが良かったのが昭和60年(1985年)で、それから時代が進むにつれて脂質がカロリーの割合を占めるようになりました。
※たんぱく質の総量はほとんど変化してませんが、動物性のたんぱく質は増えています。
下記のグラフは、日本人の1人1日あたりの栄養摂取量の推移です。
昔と比べ、総摂取カロリーに変化がないことは意外でした。
昔は食べ物が少ないという印象を持っていましたが違っていたようです。
きっと、お米をたくさん食べていたのだと思います。
上記のグラフを見ると炭水化物は減少し、乳製品、脂質、動物性たんぱく質が増加しているのがハッキリとわかりますね。
この動物性脂質、動物性たんぱく質が増えたことにより、栄養のバランスが崩れてしまいました。
また、後述しますが冷凍食品やレトルト食品が増えたことも栄養バランスを崩す要因となっています。
現在、カロリーをたくさん摂っているにも関わらず栄養バランスが崩れることによる栄養失調が問題になっています。
これにより、日本では肥満・糖尿病など生活習慣病が蔓延するようになってしまいました。
現代人の生活から見えてきた肥満の背景
前回の記事では、日本は第二次世界大戦後に大量の資金が流れ高度経済成長を遂げたことを書きました。
このことにより、日本は豊かになりました。
こんにちは、おっちーです^^今回も必ずやせて-10歳の健康美を手に入れるための「ダイエットの基礎知識」を学んでいきます。 前回は「理想体重とは?」というテーマで、-10歳の健康美の適正体重について学びました[…]
豊かになったことは、車の保有率が右肩上がりで上がっている様子を見ればお分かりになるかと思います。
日本は経済的に発展し、車の保有率が上がり、生活を便利にする家電で物が溢れるようになりました。
外国からの食糧の輸入の増加は前述したとおりで、同じく外食産業や冷凍食品やレトルト食品などの加工食品も栄えるようになりました。
※食の外部化とは、冷凍食品やレトルト食品を指します。
しかし、物が溢れれば溢れるほど肥満者や糖尿病などの生活習慣病もはびこるようになっているのも事実です。
上記のグラフは、肥満・メタボリックシンドロームの推移です。
男性は時代が進むにつれて肥満・メタボリックシンドロームの人口が増えています。
※女性はそんなに変化しておらず、体型維持に励む努力が伺えます。
そして、下記は糖尿病患者数の推移です。
※受領率とは、人口10万人あたりの患者の数。この数字が高いほど人口あたりの患者の割合が高いことになる。
こちらも時代が進むにつれて右肩上がりで増えています。
車の保有台数の増加、肥満者の増加、糖尿病患者の増加。
これらから経済が豊かになればなるほど、肥満者は増加し、糖尿病などの生活習慣病が増加しているということがわかります。
インカ帝国最後の都市ビルカバンバの悲劇
ここで、一つの事例をあげます。
中南米のエクアドルとペルーの国境付近にビルカバンバというインカ帝国最後の都市と呼ばれる地域があります。
このビルカバンバは過去、100歳以上の高齢者が多数いる村として世界三大長寿地域の一つにあげられていました。
主食は精製されていないとうもろこしや芋などの根菜類で、たまに食べるご馳走は「クエ(モルモットの姿焼き)」で内臓ごと食べていたようです。
アンデス山脈に囲まれているため塩が少なく、「ケジョ」という手作りのチーズには塩を入れず、山から採れる野菜や果物、木の実など「必ずやせて-10歳の健康美」にとって最適な食事をしていました。
砂糖は黒砂糖を生産し加工品は皆無です。
そして、農作業は山を上り下りしなければならずたくさん歩き、日光を程よく浴び、「村には何もないが悩みもない」と村人が語るようにとても穏やかな暮らしをしていました。
しかし、その生活が一変します。
長寿の噂を聞きつけ、欧米から観光客や移住者が激増したのです。
道路は舗装され、交通機関が整備され、レストランや観光客向けの土産物店が立ち並び、物資が行き交う欧米文化に侵食されていきました。
これにより、村人の生活環境や労働環境が様変わりし、
- 主食の変化:無精製の穀物⇨ラード入りパン、ラードと食塩入りのご飯の普及
- 加工食品の増加:黒砂糖から白砂糖へ
- 脂質の増加:豚肉の消費量が増え、ラードの消費量も増加
- 肉体労働の減少:観光客が増え、土産物店で座っていればお金が入り生活できるようになったため、農作業をしなくなった。
その結果、たったの14年で平均寿命が10年縮んだと言われています。
【地産地消】土壌に根ざした食生活
もう一つ、沖縄の事例をあげます。
沖縄は、2001年に「The Okinawa Program」という本がアメリカでベストセラーになったほど長寿地域として名を馳せていました。
※全米でベストセラーになった「The Okinawa Program」
長寿の要因としてあげられるのが、健康的な食生活です。
- 茹でこぼしの豚肉:ラフテーやソーキなど沖縄では基本的によく煮込み、アクと一緒に浮き出た脂肪を取り除いてから食べる。これによりコラーゲンや良質なたんぱく質が摂れる。
- 豆腐:海水で固めたミネラルたっぷりの島豆腐(沖縄豆腐)や寄せ豆腐、紅麹と泡盛に漬け込んだ「豆腐よう」など豆腐をたくさん食べていた。
- 野菜料理:ゴーヤー、キャベツ、もやしに島豆腐と共に強火で炒めたチャンプルー、千切りにした大根やパパイヤなどにだし汁を加えて炒り付けたイリチー、同じように細長く切ったニンジンや黄大根を卵とともに炒めたシリシリーなどがある。
- 海藻・昆布料理:もずく、海ぶどう、ひじきなど海藻類をよく食べていた。また、江戸時代に日本海で活躍した北前船により北海道の昆布が沖縄に持ち込まれたことで昆布が食卓に並ぶようになった。昆布の消費量は富山県と一、二を争うほど。
- 低塩:昆布やカツオによる出汁(だし)を使った料理が多く低塩を実現。
上記が沖縄の伝統食ですが、ダイエットと-10歳の健康美にとって理想的な食事です。
また、生涯現役意識、運動習慣(温暖な気候で冬場の活動量が落ちない)、老人クラブや地域行事の参加率が高く、よく体を動かします。
そして昼寝など、ゆったりとした生活。
ユイマール(相互扶助)などの精神的なささえ、兄弟のように分け隔てなく付き合う「イチャリバチョーデー」などの独特な心のあたたかさ。
その陽気さと、ストレスを抱えない民族性が長寿要因として世界で注目されました。
この長寿を沖縄は誇りとし、1995年に沖縄は世界長寿地域であることを宣言しました。
沖縄県は、先の第2次世界大戦において住民をも巻き込んだ国内唯一の地上戦の場となり、20万人余の尊い生命と貴重な文化遺産を失った。 戦後、本県は焦土の中から立ち上がり、50年を経た今日、社会経済のめざましい発展をと げるとともに、世界に誇れる長寿地域になった。 我々は、この長寿地域の達成が県民の努力と保健医療関係者の熱意の賜であり、その根底には恵まれた温暖な気候、先人の英知の結晶である伝統的食生活や文化があることと思う。
また、自然と共生し、異国文化を尊重し、社会的弱者とも共に助け合っていく「共生」の生き方、 方言で「ユイマール」といわれる相互扶助の習慣や、兄弟のように分け隔てなく付き合う 「イチャリバチョーデー」の県民性がある。さらに戦禍の教訓として「命どぅ宝」という平和を希求する沖縄のこころがあり、その心に支えられた長寿地域であることを改めて思い起こす必要がある。我々は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年に当たり、我々の祖先が築いてきた独自の文化を大事 にしつつ、健康の大切さ、平和の尊さを訴え、未来に向けて全人類の幸せの道しるべとなるよう、沖縄県が世界長寿地域であることをここに宣言する。
沖縄県知事 大 田 昌 秀
※沖縄の歴史と生き様を感じる名文です。
しかし、この宣言をしてからというもの、男性の平均寿命は1990年に全国で5位、2000年には26位と順位を落としています。
原因は、やはり食の欧米化にありました。
戦後、沖縄にはアメリカ軍が駐留し、大きな駐車場を持つドライブスルーのハンバーガー店やフライドチキンのお店が急増。
次第に沖縄の伝統料理が食卓から消えていきました。
これにより、動物性脂肪や食塩が増え、沖縄県の肥満率は日本一になり、高血圧、高脂血症が増えていきました。
沖縄では親よりも子供の方が先に病死するという現象があります。
これは「沖縄26ショック」として有名な話です。
沖縄の長寿を支えたように、日本の昔ながらの食生活は長寿を支えます。
日本食は一汁一飯三菜というスタイルで、とてもバランスの取れた健康食品です。
日本で失いつつある日本食が、皮肉なことに世界ではヘルシー食として大変人気があります。
※フランスのパリ市内だけでも日本食の看板を掲げているレストランが約200店もあるといわれています。
ビルカバンバや沖縄の事例から、伝統食がいかに大切であるかを学ぶことができます。
伝統食に見られる土壌に根ざした食生活は、わたしたちに健康をもたらしてくれます。
健康であることは、体調がよくイキイキとした毎日で心も穏やかでご機嫌さんであるということです。
土壌に根ざした食生活。
つまり、地産地消が土壌に根ざした食生活であり、伝統食なのだと思います。
地産地消は、
- 新鮮で、栄養価が高い:その土地で育った旬の食材をそのまま食べるので新鮮で栄養価が高い。
- 価格が安い:流通コストがかからないので安い。
- 環境にやさしい:トラックなどで運ぶ必要がないので排気ガスをおさえられる。
といったメリットがあります。
その土地とともに生きることがいかに大切か。
経済的に豊かになることはありがたいことです。
しかし、伝統はわたしたちを守ってくれるものであることを忘れないようにしたいと思った次第です。
まとめ
以上、「飽食の時代」というテーマで、日本食から欧米食に変化したことにより、わたしたち日本人にどういう問題が起きたのか?について学んできました。
食の文化が日本食から欧米食に変化したことにより、栄養バランスが崩れ栄養失調になったことにより、
”カロリーの質の低下により、肥満・糖尿病などの生活習慣病が蔓延し体調不良者が続出した。”
ことがわかりました。
確かに日本は豊かになりましたが、病人や体調不良者が増えていることも事実です。
それを解決するには、昔ながらの日本を思い出すことにある、と僕は思っています。
伝統食には、脈々と受け継がれた先人の知恵がつまっています。
日本人には日本人に合った「食」があります。
沖縄の伝統食のように、その他の地方にも同じような伝統食があると思います。
きっと、その伝統食はその土地に育ったものを活かしたものであるはずです。
日本人は、日本の土壌のDNAを引き継いでいます。
日本の土壌で育った食材のDNAは、最も日本人の体にあっているはずです。
必ずやせて-10歳の健康美を手に入れるには、わたしたちが生まれ育った日本という土地に寄り添うことが近道だと考えます。
今回はここまでです。
次回は「カロリー」の基本的なお話をしたいと思います。
それではまた♪